宗教?

友人のお母さんが昔ピアノの先生だったそうです。
だから、おうちに生徒さんが来てレッスンしていく姿を
ごく普通に見ながら生活していた友人。

もちろん物心つくようになった頃は
「私もピアノやりたい」というお約束の展開に……。

そして、ここもお約束。

やはり先生=自分のお母さん
だと言いたい事言いやすい為なのか衝突も多く…
脱力してない!してる!の大げんかの末
友人はピアノを止めてしまいました(^^;)


ところで、

そんなまわりがピアノだらけの環境だった友人なのに
「ピアノは次のレッスンまでに練習していく物だ」と
言う事を知らなかったというのです!

なんで?お母さん(先生)が他の生徒さんに宿題出してるのとか
聞こえてなかったの?ていうか
練習しなさい!て言われなかったの?

と問うと、答えはNO。



実は友人のお母さんは 
「練習を強制しない」という主義の流派だったそうなのです。
お母さんの主義なのではなく、流派の主義。

なんでもコダーイとかいう音楽家?の流れなんだそう。
有名なバルトークもこの流れだそうです。


詳しくは理解出来なかったのですが

普通一般的なピアノ教室なら
バイエルとかツェルニーとかの教本があって、
まあある程度レールに乗っかって(バイエル終わったらブルク、みたいな)
練習していくかと思いますが、
そういう「強制」は一切無し。

レッスンも特になにか楽譜をひらいて並んでる音符通りに弾くのではなく、

弾きたくなったら弾く。
弾きたい音を弾きたいように弾く。
弾きたくなかったら弾かない。
練習しなくてよい。したいならすればいい。


なんだって。
音楽とは強制される物ではなく、自分の中からの気持ち。だから。



う‥
う~~む。理屈は分かります……
それに越した事無いですね。
まあ、芸術とはそう言う物でしょう…。

結構子供は対応出来るのかもしれませんね。
好きな様に本能のままに欲望に従って、
なんでも無心になれるでしょうから…。


そして、大人になって趣味でやってる人も行けるかな?
だって趣味だもん。
いつ止めても良い物を100%自分の意思で?意志で?やってる筈ですからね。


多分他の人はそうなんでしょう……
でも

私にはムリだ。
そこが問題なのかもしれない。



けど、

そう言う人がいたって可笑しくないと思う。
絵だって、創造力がなければ描いちゃダメ、とか描くことを許されないって事は
有りません。
世の中には「ぬり絵」を楽しみたい人だっている。
そしてそのぬり方をもっと精進したい人だっている。
どうやればもっと良い色がだせるか。どうぬればもっと立体感がでるか。

自分でイチから起こせる人からみれば
「どうせそんなに情熱傾けてぬるのなら、自分で好きな絵を描けば良いのに」と
思うでしょう。
私も実はそう思っています。絵に関しては。

ただ、それは言えば理想論。出来るならそうしたい(かも)でしょう。
でも、理想の導線をたどれなくても
気に入った下絵を探して、それを丹誠込めて塗るという楽しみ方だって有る筈。


コダーイ流派の主義は
そういう人たちの「やりたい」という憧れの気持ちを摘んでしまっているような気がします。
いえ、私の独断と偏見による感想ですよ。あくまでも。


まあ、ピアノのお教室はコダーイ流派だけではありません。
「ぬり絵」の人はコダーイを選ばなければ良いだけ。

そう。「ぬり絵」でもいい。
それが許されない訳じゃない。

ただ、
「自分でイチから描ける」人の中に居ちゃだめだ。
少なくとも自分が「何を描きたいか」決められるその日まで。


楽しく塗ってるうちに、だんだん描きたくなってくる。
どういう風にしたいか自然に気持ちが芽生えてくる。
それをゆっくり待つのもいいのではないでしょうか。

待ってる間はぬり絵を楽しもうじゃないですか。
自分で色が決められなければ、お手本を見て。

いいのいいの。自分のペースで。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

かめいち

Author:かめいち
________
2007/07/01より、
おピアノ再開組。

それが今はどこ彷徨う

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新コメント
リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
寄ってくれてありがとです。

FC2Ad

まとめ