奇跡のシンフォニー

久しぶりにレンタルDVDに行って、
とてもステキな映画に出会いました。

主人公の男の子は
世の中の全ての音が音楽に聴こえます。
風や草原のざわめきはもちろん、
街中の喧噪もなにもかも。



ああ、
多分、音楽に溢れてる人ってああいう風に世界が見えて(聴こえて)いるんだな、
聴こえない私は、一体どんな耳をしてるんだろう。
ちゃんと起きているのか?
聴こえてこない方がどうかしてる、
そんな気がしました。
音楽って、難しく考えるものじゃない、感じたままで良い筈なのに、
なんで素直にそう出来ないんだろう…。
一体どこにカギを落としてきたのか……



たまに、
自分の能力では想像し得ない世界を教えてくれる映画があります。


前見たある映画では、視覚でなく音でモノのかたちを視る世界が
描かれていました。
目が開いている限り、視覚無しにモノが見えるという事が
どういう事か、
絶対理解出来ないと思っていましたが、いい体験をさせてもらった気がしました。



さてさて、
音楽が聴こえない私は、悲しい事に人の顔の判別もつきません。
ハリソンフォードとリチャードギアが同じ顔に見えるくらいですから……

そして、
この映画の主人公は、
「チャーリーとチョコレート工場」の男の子なのですが、
それって、「AI」の男の子ですよねえ。
え?違うの?
え?ホント?まじ?だって同じ顔じゃん。






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bamamanさん

うわああああ。
わかんなくなってきたああああv-12
惨敗…。玉砕。

なんちゅうかぁ…

初めての人が何かやる…そう1ヶ月かけて

専門家ちゅうかぁ熟練者はぁ その1っヶ月の内容を数時間或は場合によっては 数秒で 通り抜けて行きやすよね。

うん、飽きないという事…
人が寝ている時間、その事を考えて 感じて 作っている、居続けると 少なくとも その居続けた時間が10時間あれば…相手が 同じレベルならば 10時間は 飽きないんやないでしょうかねぇ?!

つまり、自信とは その程度のものやし、それでええので…
万人に賞讃されるわけもないでやすし、そこら編は 全く違う摂理が働いてやすよねぇ?!

音楽の演奏は 善意を前提にやいたいもんでやす。
そやからこそ 最初の数秒間で 聴く奴らを黙らした方がええっす。(爆)

物事の捉え方は 必ずしもまじめが ええとは 限りまへん。
ええ…死ぬ迄 いろいろな事があるでやしょうかねぇ?!ははは…

tukushiさん

なるほど~
見えるんですねー。
クラシックの作曲家とかもそれっぽいコメント残してる人とか
いますよね。

私は…そのものしか見えてこない……なあv-16

bamamanさん

ま、そうなんですけどね。
人と話する時に同じ記号を使わないと通じないんですよね(爆)

それはそうと、役者でも、
その役によって様々な顔に見える人もいれば、何の役やっても
その役者の顔しか見えない人もいますよね。
個性的、っていう話でいくと後者かもしれないですが、
優秀な役者でいけば前者ですね。
「個性的」がそのまま「優秀」に繋がらないんですね。
いや、そもそも個性的を求める方向がちがうか、
ジョニデも松山くんも個性的でなおかつ優秀な役者ですしね。

bamamanさん

言葉も音楽と一緒で、
一旦放たれてしまったら自分のものであってそうでなし、ですよね。
相手の捉え方によって様々に変化する…
下手したら攻撃と捉えられる…。

言葉を使う時って確かに相手がどう捉えるかを自動で考えますね。
自分一人よくてもしょうがない、相手がどう捉えるかを計算しないと
自分を表現した事にならない・

なるほどそう考えると音楽、おピアノも自分一人だけ気持ちよく弾いてても
しょうがない、相手にどう伝わるかを考えるんだ、というのが理解出来るし、
それどころか当たり前の事だと思えます。

bamamanさん

bamamanさんには愚問かもしれませんが…
感性とかって、出すの躊躇したりしないですか?
なんかコッ恥ずかしいというか、笑われたらどーしよーとか(爆)
なんだかんだやっぱり人目って気になります(^^;)



言葉は分かり易いじゃないですか。
こんなこと言ったら(書いたら)気障かな、とか寒いかな?とか、クサイかな?とか
そうすると思いついても口に出さない。
ちょっとソフトに押さえてみたり?

でもロックとかで誰かが歌っててそこそこ完成されてると
クサク感じなかったりむしろかっこ良かったり。
でも自分にはとても勇気がないとか。

似たような感情が絵に表現しようとする時にもある……かも…。
少なくとも音楽にはあるかな、と思います。
そんな躊躇が固まって人前で弾けない、てことになってるかも、と
最近思うのであります。

理屈の方は、「理屈だから」と保身で着るというかなんというか……(^^;)

No title

私の友人で印象的な絵を描く人がいますが瞬間、そう見えるらしいですよ?
花とか木とかを見ているといろいろな色の粒粒が見えるとか、川の水を触った瞬間金と銀の刃が見えるとか、時々呟いていました・・・。
私には全然わかりませんがね(苦笑)
出来上がった絵でさえ、ちんぷんかんぷんでございます。

音は色が見えることがありますが絵にしろって言われたらダメかも・・・・。

曖昧な記憶

写実はとても分かり易いです。
多分どこまで正確に見えてるかへの挑戦なんでしょうね。芸術というより
職人わざと言うか、
何処まで観察出来たか、どこまでその得た情報を出力する事が
出来るか!
そして、その出来た絵の正確さにこちらは感服します。
その現実性を使って、現実には実際あり得ない風景を描かれたりすると
どこか違う世界を魅せてもらえたような、そんな気になります。
今の3DCGにも似た所がありますよね。
私は実物大の恐竜の模型より、CGで大手町をあるく恐竜の方が好きです。
より臨場感が感じられます。


かたや、印象的な絵画、これはずっと不思議でした。
そういうのを描いてる人って本当に「そう見えて」いるのでしょうか?
またはそう感じているのでしょうか。
絶対自分にウソついてないのでしょうか、
絶対誰にも媚びてないのでしょうか。

もし本当に本当なら凄い事なのですが…

ハリソンフォードとリチャードギア

彼等が 同じ顔していても ええと思いやす。(笑)
実に どうでもええ事でやすからねぇ。
たとえば どちらかが 旦那であれば 重要な問題でありやすがね。(爆)

そう、たまたま 違う映画で違う個性の主役をやっていただけで 映画の主人公に過ぎないのでやすからねぇ。(再笑)

音楽とことば

他の芸術もことばも全く一緒で 現実相と対峙するモノが ことばやと思いやす。
ただし、その現実相は 実態から写実からイメージまで 次元の違う問題まで 実に幅広く 含んじゃっているんやと思いやす。

感性での解析

うん、これは 【表現】という言葉に向かって行くのやろねぇ、うんうん♪

理屈での解析はぁ 言葉に惑わされなければ 有効な手段やと思いやすねん。
小生は ことばというものは 実に現実に存在するモノとか 心象とか、そういうものを 理解する為に それと言葉とが1:1で対応し、そういう定義をきちんとされてないと 役にたたないもんやと思うんでんすぅ。

つまり、現実相の像というものを ことばに置き換えているものでなければ ならない訳で、そういう意味では 現実相が大事で ことばは それを表す記号でしかないのやないかと 考えとるんでやす。

そういうことが きっちりとしていれば 理屈というのも 無駄ではない。そうやねぇ、それが 理屈の範疇にいるのか、散文になるのか、詩へと昇華してしまうのか?
それは いろいろでありやしょう。

まっ、そないに 小生は 思う訳で ことばは 常に何かを表す記号であって 理屈から詩までの グラデーションを持っていて 現実相と対峙する記号でしかないと 思うので有りやす。

写生か絵画か

写真は絵ではないっすよね。
感性は写真的実物を感得器官を通して 印象として 省略又は変形させていきやすよね。
写生といえども しかも写実的といえども その人の感得器官を通して 絶対変形しやすが ご本人が 写実を目指すとすれば 何故か絵画とは言えない様な気ししやす。

目をつぶると 細かな写実は 忘れ去られ、印象が 残るんでやしょうねぇ。
それを形として再現するとして 写実的に再現しようとすれば その印象は やはり印象でなく 写実になってしまうのやないやろかぁ?!
そう、絵画でなく 写生!!

ただし、現象としては 曖昧な記憶をたよりに 起こすのやから 随分変形して 抽象的であったりするんやろうけどねぇ。

bamamanさん

創るには‥相当長い道のりがありますね(^^;)
そのプロセスが本当の道のりなんですね。

確かに見えなきゃ感じる事も分解する事も解析する事も
再構築もなにも始まらない…

でもたとえば
見えてはいる、でもそこから先に進めない…。
こんな場合。
いわゆるデッサンはウマイがオリジナル製に欠けるので
作品はいまいち、という場合。

あえて目を閉じてみる、というのはどうでしょうか。
見えすぎるのを防いでニュアンスだけで進んでみる。
でも、見えてるものを見なかった事にするっていうのも
難しそうですね。
やっぱヘベレケコース?(爆)

あと難しいのは、「分解、解析」のとこです。
私はすぐに理屈で解析してしまいます。
感性で解析しないと、どうしても不自然コースまっしぐら(爆)

bamamanさん

>ある日突然に見えるんやと思いやす。

そうですよね、確かにそうです。
私も別に聴力検査で引っかかってる訳ではないので
聴こえてはいるんですよね。

ただまだコップが一杯になってない…
いい歳ぶっこいてるので
「まだ聴こえてこない」なんて言うと焦っちゃいますが、
でも「音楽」を「曲」と区別できてからまだ1年ですし…(爆)

ある日突然開眼召される時が来る、その経験は他のジャンルで
何度もあります。
だからその日が来る事を信じれるし、
その日がだいぶ近づいてきてる感覚はあります。

その時何が聴こえてくるのか…ある意味楽しみです♪

大人に成るに従って

その実態、形態の より正確な、ディティール迄も 記憶装置に取り込まれやす。
例えば そう言う状態を ”目が肥える””耳が肥える”と表現するんやろと小生は思いやす。

形態的な問題やのをて 性格的問題を 捉えるのが インスピレーションに類する、或は センスと言われる【分解力】とか【解析力】でぇ それらを【再統合】とか【再構築】するのを 創造、創造性斜体の文と呼ぶんやろと考えてやす。

音楽をする、絵を描くというのは この【創造】の部分やろと思っていやす。

【見える】事から始まって 【感じる】事を通して 【創る】訳でございやしょうかねぇ。

見えるという事

生まれたばかりの赤ん坊は ちゃんと目が見えていやす。
ちゃんと光を目は感じているんす。
でも、見えていない。
ある日突然に見えるんやと思いやす。
そう、頭の中に 記憶(曖昧でも)としてカタチが 溜まって行く。
その脳の中の記憶と目で感じたモノが 一致した時に ””見えると言う認識を、意識を持つんやろなぁと思いやす。
そう、コップの水に水滴を蛇口から落として ある時 コップが オーバーフローしやす。その現象に 実に似ている気がしやす。
プロフィール

かめいち

Author:かめいち
________
2007/07/01より、
おピアノ再開組。

それが今はどこ彷徨う

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